瓦の歴史

瓦とは建物の屋根葺きのための建材のことです。東洋西洋問わず古代から建築に用いられてきました。

【世界における瓦の歴史】
現在世界中で土地や風土によって工夫の施された瓦が流通しており、スペイン、イタリア、フランス、日本等世界各国に広がっています。メソポタミア説・インド説・中国説・ギリシャ説等発祥をたどると候補となる都市が多く世界各国に散らばっていることがわかります。基本的には2000~3000年前に中国発祥ではないかとされています。

【瓦伝来の歴史】
春秋戦国時代の古代中国、瓦(グワ)という”粘土を焼いたもの”を意味する現在の瓦が誕生しました。中国、漢の時代になると、ペルシャ湾からシルクロードを経由して釉薬と呼ばれる瓦や土器の強度を高めるガラス質の技術が広まります。唐の時代になるころには釉薬の技術が進化することでさらに耐久性の高い瓦や土器を作ることが可能になりました。この時代日本は飛鳥時代だったといわれています。

ちなみにヨーロッパでは、約2000年前の古代ローマ時代につくられた瓦が発見されています。古代ギリシャやアテネ文明の最盛期に建てられたパルテノン神殿からは、大理石の瓦が発見されています。紀元前のヨーロッパ古典建築においても、瓦という建築材料は、すでに一般化していたようです。

【日本における瓦の歴史】
日本では愛知県の三洲瓦、島根県の石洲瓦、兵庫県の淡路瓦など地域によって瓦が製造されていますがすべて和瓦として流通し日本の住宅シェア市場の51パーセントを占めています。それでは日本ではいつから瓦が使用されるようになったのでしょうか?
日本最古の住宅建築として思い浮かぶ『竪穴式住居』にはわらがかぶさり転送とされており縄文時代には日本には瓦が伝わってきていないことがわかります。

それでは日本最古の木造建築はどうでしょうか?607年に聖徳太子が創建したという『法隆寺』。瓦が使用されています。この間に日本に瓦が伝わったことがわかります。詳しくは588年百済からの渡来人「麻奈父、奴陽貴、文陵貴、文昔麻帝弥」の4人の瓦博士と2人の寺工(てらたくみ)と一人の鑢盤(ろばん)博士らが日本にかわらを伝えたと「日本書紀」に記されています。その後近畿地方を中心に広まっていきます。しかし、平安時代になると瓦を作る技術者不足や台風による被害等により瓦の使用は減少していきます。室町時代には住宅等に使用されることは減りましたが法隆寺などの寺には専属の瓦大工いたことで伝統として守られていきました。桃山時代になり各国武将による築城件数が増加しました。お城の屋根はかわらを用いることがほとんどであったため瓦の使用量は爆発的に増加しました。それに加えて城下町では上級武士と呼ばれた人たちが屋敷を構えこの屋敷にも瓦が使われることになりました。城下町は城主の力を示すものとされたためお金をかけた街づくりが行われたといいます。この町造りに、瓦は大きな役割を果たしました。まずは天守閣を飾る屋根瓦は権威の象徴、武家屋敷群や町家群の瓦屋根は、火災から町を守る防火の役割を、寺町に集中する寺院建築群は、いざという時の出城機能と記録の焼失を防ぐ役割を持っていたわけですが、瓦は武家の権威と城下町の防災機能を高めるという大きな役割を担っていたのです。しかし江戸時代一国一城令が出された後は新しく城が建てられることはなく瓦の使用量も減少していきました。加えて1657年の明暦の大火等大火事が頻発していたこの時代に重い瓦が落下して危険とのことから瓦葺きの禁止令が発令されました。これは建前で実際にはお金を持った商人たちに立派な家を建てさせないようにするためだったといわれています。一国一城令、瓦葺きの禁止令の二つを受け瓦は衰退の一途をたどりました。明治時代になるとフランス人によってフランス瓦が製造され日本に伝わり洋風建築物の多くにフランス瓦が使用されました。高温1300度まで上昇可能な登り窯という製造施設が誕生することで、頑丈さ、軽さの二つの問題を一挙に解決することに成功したのです。大正・昭和に突入すると機械化が進み生産力は向上しましたが需要が大きく増加することはなく、横ばいな時期が続いていきました。関東大震災などの大地震後、大型台風の襲来後は瓦の危険性がうたわれることで需要は減少していきました。しかし平葺き屋根ではない日本家屋においては瓦の文化は消滅することはなく現在でも50年~100年近い耐久性と昔ながらの日本家屋に合った厳かな雰囲気が残っており日本の住宅の半数で使われています。

さらに現在では和瓦のデザインを残したままでハンマーでたたいても割れない、台風クリップの開発により台風で飛ばされない、従来の半分程度まで軽量化され耐震性に優れており、雨や紫外線による風化の少ないという瓦も開発されています。古きよき日本の景観に必須となっている瓦科学と交わることで進化しさらに便利な建材としてこれからも日本の住宅を作っていくものとされています。